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TourDiary -2001・2000-

チュニジア・南アフリカ・ツアー公演

この頃に書いたものが何処かに紛失した為、2011年4月その当時を思い出して書いたものである。

カンパニーケレメニスの公演として、第1部ミシェル・ケレメニス(仏)、ビンセント・セクワテ・マントソー(南アフリカ)、ヤザキタケシ(日本)のそれぞれの自前ソロ作品で構成(ちなみに私は「スペース4、5」)。
第2部ケレメニスの振付・我々3人を使用したトリオ作品「同時通訳」。
2部構成の作品として世界中にマーケットを広げツアーをおこなっていた公演である。
フランス国内ではパリ、イルドフランス、アミアン、ブーベー、ポアチエ、ブレスト、ナンシー、ムルーズ、リオン、マルセイユ、他etc 、海外ではチュニジア、南アフリカなどを周り。まだまだ海外からオファーは来ていたらしいのだが、諸事情の為、この作品は2001年3月以降一旦お蔵入りとなる。

2004年パリ国立ダンスセンターのリニューアル・オープニングパフォーマンスに、この作品が招待された時は3人で久しぶりにパリでの時間を楽しんだ。3年振りのトリオ作品であった。また踊ろうという誓いの元別れたまま・・・まだそれはやってきそうにないのである2011年4月現在。

この作品での初めての海外公演、初めてのイスラム国であるチュニジアは別世界でありました。
街で目につくものは全てアラビア文字、スークという市場にいったん一人で迷い込んだら1年ぐらい音信不通になりそうな程の迷路のような道。
肉屋の前には、正月の様な特別の日にしか食べないという駱駝の頭が吊られ、サソリ・トカゲ・イモリなどのびっしり詰まった漢方薬屋さんがひしめき、生きるエネルギーに満ち満ちた街であった。

オフの日に、いわゆる本場トルコ風呂に入ろうという事で皆連れ立って行く。
恐る恐る中に入ると、そこには3歳ぐらいの自分の子供を横に座らせ手招きしている横座りのおじさんがおりました。
一人一人呼ばれて韓国の垢擦りの様な事を、そのおじさんが全身全霊を込めて全身垢擦りやってくれるのでした。
まあ〜笑うしかないってやつですか。
でも案外気持ちよかったりするのでした。

別の日には3人でチュニジアのダンサー達にワークショップをしました。
チュニジアのダンサー達は至って普通にまじめで一生懸命がんばってくれました。

別の日には、首都チュニスを離れ、スースへと向かう。
そこでの公演は未だに鮮明に覚えている印象的なパフォーマンスとなりました。

お客さんののりが良すぎるのです。
動きが止まる度にいちいち拍手がくるので、こちらも間をはずされるというか、踊りながら笑ってしまうというか、微笑ましい公演となりました。
(恐らく生まれて初めて見る舞台でのダンスだったのでしょう)
(個人的には、スペース4、5の白テープをはって寝たところで1回目の拍手が起こるのですもの〜)

後々知ったのですが、私たちの運転手としてツアーに参加してくれていた人物が、実は秘密警察であったという事実に・・・・驚愕。
恐るべし社会!!

 

一旦本拠地であるマルセイユに戻り、スイス経由で南アフリカ(ヨハネスブルグ)へ・・・の予定が。
マルセイユで出発が遅れるハプニング。
乗り換えのスイス。
走っている目の前でゲートが閉まる。
唖然とするケレメニス一行。
スイスで一泊を余儀なくされる。

翌朝、左下にアルプス山脈を見ながら飛行機でのスカイレストランを楽しみつつ南アフリカへ。途中アフリカの赤い土、上から見えるイナズマ、などを堪能。
残念ながら、きりんさん、ぞうさんは見えなかった。

南アフリカ・ヨハネスブルグ着
夜の飛行場からつれていかれたゲージ付きの宿。
不気味な雰囲気!
そして一人ずつそれぞれの建物の中に放り込まれる。
「こ・怖い」
という気持ちも睡魔には勝てず、そのまま朝に。

目覚めてびっくり、これ以上ない広さのジャングルプール付きの庭と花が咲き乱れている美しい楽園のようなコテージ、それも一人に一軒。未だかってここより凄いホテルには泊まってないかも。

ダンスアンブレラという国際ダンスフェスティバルに出演。

ビンセントのその当時本境地にしていたダンスファクトリーというスタジオでリハーサル、ワークショップなどを行う。(今の本拠地はフランス中部にある)
個人的には「ici」というソロ作品をここで創作。(全曲ビンセントの家でセレクトさせてもらった曲である)。

それからビンセントの生まれ故郷である、ソエトーへ連れて行ってもらう。
アパルトヘイトのまだ残る、過酷な幼少の日々に住んでいた村。
いまではどこの家にもテレビがあり、日曜には家族みんながテレビの前に鎮座している光景は日本の昔とかわらないものでした。

そういえばビンセントのお父さん!私の知っている日本人と良く似ていたな。うん。
街はマンデラ大統領になってはいるものの、白人と黒人との棲み分けがされており、まだまだ差別意識は強いようでした。
そして2001年その当時は黒人が白人達を郊外へと追いやる動きが強かったようである。

でもその当時、成功していたビンセントは白人地区でプール付き一軒屋に独り住まい、そして自家用車まで持っているのであった。

あれから10年、私はまだ車も家も持てていないのであった。

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