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ヤザキ タケシ

1981年演劇を志すもグローバルな可能性と抽象性にひかれ、ダンスに転向。1989年NYへ留学。1993~1998年、MATOMA France-Japond等、数多くの主要国際ダンスフェステイバルに、毎年ソリストとして参加。
1997年よりカンパニー(ADCアローダンスコミュニケーション)を主宰し、人が生きていく事の普遍性をテーマに、フィジカル・シニカル・コミカルに創作を挑戦。1998年バニョレ国際振付賞ノミネート。
1999年 白いビニールテープを使用した「スペースシリーズ」が仏で話題となり、海外からの招聘で4カ国14都市にて公演を行うなど、現在も、まだなお継続中である。また、ミシェル・ケレメニス(フランス)、ヘッドロングダンスシアター(アメリカ)など、海外の振付師やカンパニーとのコラボレーションも行っている。それと並行し地方での、公演・ワークショップ・ギャラリーパフォーマンスなど、日本でのダンスの裾野を広げるべく精力的に活動している。ダンス画像

 

 

 

 

「ヤザキタケシ&アローダンスコミュニケーション」

作品により、ヤザキ自身が興味を持ったテーマに見合う人材を集めて作品が作られる方法と、共に刺激し合えるパフォーマーと新しい動きを模索しながら創造していく、という2つの方向性を持ったヤザキ個人のプロジェクトカンパニーとして新たに2004年から発進。
前者の創作方法で上演可能な代表作としては、白いテープで作られた狭いスクエアの中で時間と空間が交差する1時間の作品、パリ国立ダンスセンター共同制作による「スペースX」がある。後者では簾の向こう側で見え隠れする3人の存在をシンプルな動きで幻想的に見せた「ブルータイム」がある。
(照明と舞台に関しては澳義則が、音に関しては黒田冶が創作の段階から関りプロジェクトを支えている。現在この2つの重要な作品に松本芽紅見と佐藤健大郎がダンサーとして参加している)


はじまりは演劇・・・・

四国に生まれる。京都市在住。81年演劇を始め、82年ジャズ・バレエを渡辺タカシに師事。

アメリカ修行時代

89年ダンサーとしての力量を試す為、ニューヨークに渡米。1年間の滞在中様々なダンステクニックを学ぶ。アルビンエイリー・アメリカン・ダンス・センターでの研修、モダン、ジャズ、アフリカンを習得。同舞踊団30周年コンサート、並びにオフ・ブロ―ドウェイに多数出演。

「コンテンボラリーダンスの母」との出会い

帰国後、92年スーザン・バージとの出会いにより、コンテンポラリーダンスに惹かれる。その後日仏共同プロジェクト「MATOMA」に参加し、今日まで毎年フランス国内の様々なフェスティバルで踊る(アビィニョン演劇祭など)。

創作活動の開始

94年より創作を始め、振付家としての活動を開始する。「フィッシュダンス」「不条理の天使」などソロ9作品の他、群舞作品も数多く創作している。それに平行し舞台俳優としても活動している。97年マルセイユ市民文化祭に招待され、アートディレクターでもあるミシェル・ケレメニスとデュエットを踊る。98年バ二ョレ国際振付賞にノミネートされる。


~海外での活動~

in アメリカ

89年から1年間のニューヨーク滞在中は、ダンサーとしてのテクニックを磨くため、又自分の力が世界的レベルのどこまで通用するかを試す為のものでもあった。
時間が許す限り様々なダンスレッスンを受ける。異例の早さで「アルビン・エイリー・ダンス・カンパニー」での研修で認められ、公演に出演するようになる。
次第に、振付家、ダンサー達との繋がりができ個性の強いダンサーの中で多くの作品に出演。その後の振付家としてのヤザキに大きな影響を与えた1年と言える。
その後、下記に述べるフランスでの公演などを経て、2000年1月には、アメリカ・APAPのためのショーケース「EMERGING DANCE from Japan」にヤザキ率いる「Arrow Dance Communication」が参加し、N.Y. ジャパンソサエティにて公演を行う。

in フランス&南アフリカ

92年コンテンポラリー・ダンスの母と呼ばれているスーザン・バージが京都のダンサーとのプロジェクト「スーザン・バージ・プロジェクト」を発足した。93年「MATOMA」と改名。ヤザキはオーディションで選出され、以来なくてはならないダンサーとしてスーザンに認められ、毎年このプロジェクトに参加している。
93年モンペリエ・ダンスフェスティバル、94年アヴィニョン演劇フェスティバル等に出演し高い評価を得ている。最近では、「MATOMA」としてだけではなく、ヤザキ個人のダンサーとしての評価が高まり、新聞評などで取り上げられるようになってきている。
99年にはミシェル・ケレメニス、ビンセント・セクワテ・マントソー、日本・フランス・南アフリカ、3ヶ国のアーティストとの共同作品「同時通訳」を発表し、2000年2月~4月にかけて、この作品でフランス、南アフリカのツアーを行った。


〜俳優歴〜

1981年

東映俳優養成所 演技教室入門
翌1982年に本格的に演劇をする為、本科12期に転入する。
「ブリタニキュス」ビュリス役を熱演
*初めての舞台で事務所の人から「養成所の中で5本の指に入るぐらいうまいね君」と言われ有頂天になりつけあがる。
「茶碗」主演
「12人の浮かれる男達」5号役を熱演

1983~1986年

劇団ミュージカルアカデミーに所属
「スゥイング」GH役を熱演
「バーニン」ロニー役を熱演
「このまどろみの時が好き」主演
「星降る夜のエトセトラ」主演
その当時、師である渡辺氏に芝居は年をとってからでも出来る、とにかく今は踊りの技術を身につけろと言われダンスに没頭する。

1995年

劇団四季に俳優として合格するも、同じ時期に合格していた日仏共同企画「MATOMA」を選択しフランスへ。
一旦演劇とは離れていたが、やはり芝居への思いは強く・・。

1995~2000年

劇団パノラマアワー
「虎☆ハリマオ」紅屋・ハリマオ役を好演
「空飛ぶ理科教室」理科教師宮沢役を怪演
*この作品は全国の親子劇場や学校の団体芸術鑑賞として30ステージ以上上演。

1995年

東映俳優養成所企画・劇団エンデバー
「蒲田行進曲」演出・深作欣二 振付・ヤザキタケシ
* あの伝説の深作欣二監督との仕事に舞い上がる。

1996年

上海太郎舞踏公司 (東京、ロンドン、ダブリン公演)
「ダーウインの見た悪夢」ゲスト出演

1997年以降

ONE PROJECT
「曾根崎心中」主演
京都アートセンター企画公演
「海と日傘」医者役で少しだけ出演
ネット配信ドラマ
「マイスィートカメラガール」全8話に探偵としてレギュラー出演

2009年

アスゲキ企画
「出口あり」2人芝居に出演

2011年

み群杏子共同プロデュース公演
「モクレンの探偵」主演

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