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Interview

 

INTERVIEW P.A.N.通信 Vol.35 掲載

「創造とは何か」をテーマに、様々なジャンルで活躍されているアーティストの
方々にお話を伺っています。今回は、[人が生きていくことの普遍性、自らがこの
社会で生きていくリアリティー]を問い続け、舞台でリアルをさらけだす振付家・
ダンサーとして注目を集めているヤザキタケシさんにお話を伺いました。

ゲスト: ヤザキタケシ (振付家・ダンサー) 聞き手: 小原 啓渡

小原
ヤザキさんとはフランスとの共同プロジェクト「マトマ」以来10年近く一緒に
仕事をさせて頂いていますが、最近の活躍振りは目を見張るものがありますよね。

ヤザキ
全然そんな事ないです。実は今、結構行きづまっているです。

小原
それは、作品づくりに関してですか?

ヤザキ
そうですね。今新しいメンバーで作品を作ってるんですが、今までと少し違っ
たやり方をしています。
 今回のメンバーはダンスの経験自体はさほどないんですが、かなりクリエイ
ターの感覚を持っているので、彼等自身のイメージや意見を思いのままに
言ってもらっています。今回はそんな彼等のイメージを自分のそれとミックス
させて作品を形にして行こうと思っているんですが、それがなかなか難しくて
・・・。
そもそも、イメージを形にしていく行為がクリエイションだと思うんですが、
そのトランスレーションの方法が一つのポイントでしょうね。

小原
例えば、その過程で経験とか技術とか感性などという事が出てくると思いま
すが、クリエイションに大切な要素とは何だと思われますか?

ヤザキ
最近よく考えるのは、経験とかスキルというものに寄り掛かってしまうのは、
少なくともコンテンポラリーダンスにおいてはとても危険なのではないか?
という事です。
実際、自分よりかなり若い人達の中には、経験や技術の蓄積を飛び越えて、
いい作品を作っている人達がいますよね。
こういうのを見ていると、果たして経験とか技術って本当に必要なのかと
疑問を持ちますし、これは単に才能があるという事だけでは言い切れない
何かがあるという気がしてきます。

小原
経験や技術や才能以外に何かあるとするなら、後は感性という様なことで
しょうか?

ヤザキ
そうですね。感性も大切だと思います。
感性を磨きつづけるために、日常生活から常にアンテナを張っているという事
も必要かと思います。
ただ、クリエイションにとって最も大切なものとして最近考えているのは「愛」と
いう私なりの概念です。言い換えれば「何かに対する強い思い入れ」「何かに
対するいい意味での強いこだわり」の様なものです。
その強い思いとしての「愛」が表現という行為に向いた場合、たとえ経験や
技術がなくても、おもしろいものが作れるのではないかと思い始めています。
私も含め、技術や経験を積んできた人間程、無意識にそれらに束縛されて
しまう危険性があるという事を認識する必要があると考えています。

小原
「センセイ」になってしまう怖さってありますよね。特にコンテンポラリーという
のは「今」ですから、情熱とかエネルギーって大切だと思います。
PAN PRESS Vol. 35 ヤザキ タケシ

ヤザキ
実際私もメンバーからエネルギーをもらっているという実感はあります。
自分だけではなく、彼等の持て余しているともいえる様な強い思いやエネル
ギーを引き出して、受け入れて、作品という一つの形にしていく。その過程に、
今までの自分の経験や技術が生かせていければ、経験やスキルはあらため
て価値を持つのかもしれません。そしてこういった形が、ソロではなくカンパニ
ーとしての活動の一つのあるべき姿なのかもしれませんね。

小原
今後はカンパニーとしての活動もふくめ、どういう姿勢で創作をつづけていこ
うとお考えですか?

ヤザキ
これまで私は「観客を楽しませる」ということを基本に作品づくりをしてきました
し、公演の依頼が来るという事もそうですが、求められるニーズに応える形で
活動を継続してきた部分があります。
しかし、最近は「こう見えたらおもしろい」というのではなくて、「自分が本当に
やりたいかどうか、本質的に自分にどれが一番近いのか」という事を選択基準
にして、作品作りをしていきたいと思っています。
自分に正直というか、今思っている事を素直に、愛を込めて言い切れる、
やりたい事をやりきれる、というのがやはり理想ですね。

小原
本日はありがとうございました。


ヤザキタケシ インタビュー -「Revival/ヤザキタケシ」を振返る-2011.01.21

聞き手・構成:上念省三

上念省三(以下J) 「revival」ということでしたけど、新作もあり、リバイバルばかりというわけではなかったわけですが、お疲れさまでした。まずは、終わっての感想を一言。

ヤザキタケシ(以下Y) ありがとうございました。去年からですから、やっと終わった、って感じですね。最初はたまたまDANCE BOX制作の横堀ふみさんに、「昔トリイホールでやった三本立てを、今この身体でやりたいと思ってる」ってぽろっと言ったことがきっかけなんですよ。そしたら、彼女がそれを企画として立ち上げて、dB(DANCE BOX)の中で話し合ってくれて、文化庁の助成を得て現実化したんです。

J トリイホールでの三本立てというと、1996年10月の『眠っていたい』ですね。「不条理の天使」は1995年12月初演、『GUYS』でかな。

Y そうですね。

J  14年前の『眠っていたい』みたいなというと、最初は、3つの作品を全部自分で踊る公演を2日ほどという感じだったわけですか。

Y そういうことですね、とりあえず3つやりたい、というところから始めました。

J その3つは、最初から「スペース4.5」と「不条理の天使」と新作、と考えていたんですか?

Y いや、それは漠然と。どちらの作品も、自分にとっては転機となる作品だったと思います。

J 「不条理の天使」はもう一回やりたいと、言っていましたね。今から振り返るとね、「不条理の天使」のように、青年期の男、ヤザキタケシ自身のような人が、ちょっとおかしくなっていく作品って、いくつかありましたよね。「セキバク」などもそうじゃないかと思うんですが。

Y そうですね。一見パラノイア的な感覚って、ありますね。上念さんが以前一度書いてくれたことがありましたよね。

J そうでしたね。「セキバク」については、作品コメントでも「人は悲しみが、寂しさが、極限までいってしまうと強烈なまでに残酷になってしまうものなのか。それとも神仏のように優しくなれるものなのか?」と書いていますね。そういう極限、極端さへの方向性というようなものが’90年代の後半にあったようで、そのあと、自分とか一人の人間がどういうふうになっていくかというようなこだわりから、少し脱していくような展開があったように思います。ちょうど今回の3つの作品を並べたときに、まずすごく自分のことをこだわり語っているような印象のある「不条理」があったわけですね。次に、久しぶりに「スペース4.5」を観て、案外抽象的な作品のように思えて、結構面白かったんですね。そして最後の「ミューザー(沈思者)」があって、ちょうど以前の2つの作品はエポックになるような作品だったのかなと思えました。改めて以前の作品をやってみて、自分自身の変化を感じられましたか。

Y そうですね…昔の多感な頃にー今も多感なんですけど(笑)—すごく世の中が嫌い、人間嫌いなときがありまして。「不条理の天使」などは、創ったときはそうでもなかったんですけど、子供の時から、どうせ死ぬのになぜ生まれてこなければいけないんだろうとか、食べたら出すみたいな繰り返しだけの日常というものに不満というか疑問、矛盾を感じていて、そういうことを作品にしたというところはありますね。この世で死ぬために生まれてきている、不条理だ、…常にそういう気持ちがあったんですね。そういう思いが溜まりに溜まって、それを吐き出していったのが初期の作品で。けっこうね、死んでいく作品が多いんですよ。「レクイエム」もそうですし。
 それで、今それをやるとどうだって言われると、今のぼくは全くそういう感じではなくて。今は一つ一つの物事に対して真摯に、愛情を込めて接する事を大事にしたいなーと思ってますね、意外にも…へへ。

J 改めて、若い時期のメランコリー、憂鬱が、またこの、初老の?

Y (笑)現実にはね。

J 初老の憂鬱にね、重なるというか、透けて見えるというか。

Y 逆にリアルみたいな感じですかね。

J ええ。いろんなことをギャアギャアとやってきて、ふとわれに返ってみたいなソロがあって、そしていよいよ…絞首台じゃないけど、自分でだか他人からだかわからないけど、首に縄かけられるんだか自分でかけるんだか、結局同じことだ、とか思っちゃいます。

Y とにかく今はやれる事をやりきって、後は天命を待つ…みたいな。いつ死んでもいいような前向きに生きたいとは思ってますね。

J やっぱりね、名作にはそういう長い寿命があるんですよ。

Y たまたまですよ。作り方など、今から考えれば雑でしたよ。だから巡り合わせもあったんでしょうね。ちょっと気になるんですが現代でも通用すると思われましたか。

J ええ、コメントの「今回は自分でどう受け止めるかが課題になりそうです」というのを読んで、当時の死生観、考えてみたら若い青い死生観かもしれないけど、そんなに変わるもんじゃないでしょう? まぁ、当時希望に満ちていたというなら、変わるかも知れないけど。

Y 当時も今もそんなに希望をもってる訳ではないのですが、希望や夢をなくしてまで生きるのは酷過ぎるでしょ。だから今は敢えて夢や希望を持とうとしてますよ…劇場を建てるとかね(笑)。

J そもそも「スペース4.5」、四畳半というものに注目することができたのは、日本の空間というものを発見する、というようなことがあったんですか?

Y 創作のきっかけはフランスの振付家、ミシェル・ケレメニスでした。彼が、スーザン・バージのMATOMAで踊っているぼくに目をつけてくれたようで、京都でぼくがワークショップを受けたら、「君、モンペリエのフェスで踊ってたでしょ、覚えてるよ」って言ってくれたんですね。ぼくがずうずうしくも「ソロの作品があるから見てくれ」って見せたら興味を持ってくれて、次の年に京都へ来た時、新しい公演のための、ソロの作品を創ってくれないかってことになったんです。ヴィンセント・セクワティ・マントソーとミシェルとぼくで、それぞれのソロを創ろう、と。それで今までの自分を振り返ってみようと。

J すごいですね。自分のこれまでを振り返るときに、四畳半という限定された空間が出てきたというのは、面白いですね。

Y ぼくは転校生だったということもあって、結構部屋の中の一人遊びが好きだったんですね。小学校のときから四畳半でしたけど、大学時代も四畳半でしたし、その記憶が鮮明に出てきて。

J 最初にテープで空間を作っていくのも、ちょっと儀式的な神事みたいな、お払いとかお清めみたいな感じもしました。

Y そうですね。今までぼくを育ててくれた空間を、神聖なものとして扱おうと。

J その作品を、今回若い女性が踊ったわけですが、実際のところあまり振り付けてないとか聞いていたし、舞台を観ても、2人ともヤザキさんのとは全然違うし、イム・ジョンミと西岡樹里のとでも全然違ったわけですが、どういう指示というかサジェスチョンで、こういう作品づくりになったんですか。

Y ぼくがあんまり指定すると、ぼくの世界観になってしまうでしょ。ソロは自分から出てきたものをやらないと、嘘っぽく、借り物になってしまうんですよ。特に「スペース4.5」は曲が決まってるわけじゃないので、自分で時間を練り上げていくっていう作業をしないといけない。だから借り物になることが怖くて、それで自分の部屋、まずどういう部屋を作りたいか、というようなお話をさせてもらって、何を使うか、どうやって貼るか、そういう問いかけから始まりました。ぼくは口を出したいけど、どうやって口を出さないかっていうのがテーマでした。一応作品なので、作品が怪我しないように、くらいは加減しました。むちゃくちゃにして面白ければいいんですけど、思い込みでへんな方向に行かないように見守るぐらいの感じでいようと思って。

J 途中で何回も見たりはしたんでしょ?

Y もちろん。ずーっと付き合ってはいたんですけど、それぞれに任せました。振りを作ると、ぼくの満足するクオリティにとか考えると何年もかかるわけで、ぼくの生徒でもパッと来てすぐに踊れる人なんかいないので、それは絶対やめておこうと思いましたね。自分の持っているスキルは全部出してくれ、ということで、やりましたね。

J 「ミューザー(沈思者)」は、佐藤健大郎さんとでした。 

Y 「ミューザー(沈思者)」は、最初ぼくが勝手にイメージしてたんですが、ずーっとコンテンポラリーをやっていると、曲をBGM的に使ったりして、曲にイメージ合わせたり、曲に合わせて踊るって事からずーと離れてました、無音とかもそうですが、ノイズとかそういうのばかりじゃないですか。それはそれでイメージが限定されなくて面白い面もたくさんありますよ。そんな中で、ストリートとかヒップホップの連中と仕事することがあって、すると、音にポンポンとはめていくでしょ。昔そういう感覚でジャズダンスをやってたな、と思って。2年ぐらい前から、全部音にはめて動きを作ったり、逆に音を作ってみたら・・・、みたいなことは時々言ってたんですよ。この企画以前にね。それを実現しようとして、音を楽しむ作品にしたかったんです。佐藤健大郎くんと練習している時は、最初はぼくが動きも全部作ったんです。日常的な動きの中から作ってしまって、それからお互いが前で見ながら、ちょっと動いては「ゴーン」とか言いながら、それが結構面白くて。お互いやりあいながら、言いあいながら、そこから音を決めて。決めるっていうか、遊んでいたんです。

J 遊びながらはめ込んでいく感じですか。

Y そうですね。それで音響の黒田治さんに見てもらって、こんな感じで作ってるんやけど、好きなように音は作ってよ、って感じで。

J 次にその音に当てはめて動く、みたいな。

Y そう。

J 健大郎くんは、その音からちょっとずらしてみるとか、いろいろやってみたって言ってました。

Y ちょっと私とはシチュエーションも変わったんで。自分が用意した音をかけてるってことにしていたじゃないですか。だから逆にずれても全然おかしくない。

J ああ、そうかそうか。

Y 練習してて、ああ、ずれた、みたいな感じで面白い。最初はね、スタッフ見せまで、全く無音で同じことを動いて、2回目で音を入れよう、ってやってたんですけど、一回目で観てる人それぞれに音を想像してもらって、2回目には我らなりの答えを出す、みたいな。あんまり面白くないっていうんで、それで健大郎が思いついて、練習でしていたことを1回やってみたんですよ。それが面白かった。それで、それをぼくもやるわってことになった。

J 健大郎くんは後ろ向いてやり、ヤザキさんは前を向いてっていうのは、それぞれの持ち味ですか?

Y そうですね、健大郎が最初ああいうふうに始めたんです(観てない人ごめんなさあい)。一緒だと面白くないんで、ぼくは鴨川の向こうにオッサンがいて、体操してるのに合わせて、ぼくがこっちからアテレコしてるふうにやってみようかと(笑)。なのに、知らない間に自分もそれに導かれるようにやってしまう、という設定です。

J それは、知らなかった。

Y 遠くで何か動いてる人に対して、こっちで面白おかしくアテレコするというアイディアは、最初にあったんですよ。

J へぇー。

Y ほんと、ギリギリまでやってました。劇場入ってからですね。後半の部分、ぼくが構成全然できてなくて、見てもらううちにああいう形になっていったんです。無音でやりたかったんですけど、どうしてもうまくできなくて。

J ヤザキさんの作品にあるエンタテインメント性というか、観客を面白がらせるところって、自分をさらけ出すとか、ちょっとみっともないところを見せたりするところから来ていますよね。

Y ちょっとやりすぎるきらいがあるので、それはいつも釘を刺されています。森山未來くんにも言われました(笑)。

J なんて言われたんですか?

Y 一日目の「ミューザー(沈思者)」について。ちょっとぼくが調子に乗って、お客さんとやり取りしてしまったんですよ。それが成立してしまってるところが、なんていうか、悔しいというか。でもね…ちょっと違うかなって(笑)。

J うまいこと言われたわけですね。

Y そう。ぼくとしてもそこらへんは、まあ、ほどほどに、あんまりライブ感覚だけでやらないように、作品としてきっちり考えていかないと。「不条理の天使」に関しては、サービス精神でやりきって、違うところへズドンと落としたいので、意識して徹底的にエンタメにするんですよ。

J 最後があるからね。

Y 作品のバランスとして。エンタテインメントについては、ほっとくとやりすぎるきらいがあるので、自分を制御しないといけない、という感覚はあります。それが作品をつぶしてしまわないように、と。

J まあ、何をもって観る人をエンタテインするかということになると、笑わせるだけじゃないからね。

Y 「スペース4.5」については、引き込んで、覗き込んでくれ、って思います。

J 客いじりとかするのじゃなくて、一緒に空間にいる感覚というのかな。

Y 節穴から、覗いてください。でも、覗いてもらうために、仕掛けとかは必要なんですよ。

J 儀式みたいなものとかね。何をしてるのかな、何が始めるのかな、と思わせて、一気に入り込ませてますよね。

J ところで、3つ続けて踊るのは、しんどくなかったですか? 愚問?

Y (笑)爽快でした。「スペース4.5」を出し惜しみなくやりきって、大丈夫だったんで、「あ、いけるわ」と思いました。

J ぼくらも観ていて、気持ちよかったよー。

Y あ、そうですか。小学生が観ていて、面白いって言ってくれました。「4.5」がよかったって。

J へえー、通ですね。

Y マニアックな子です。

J 何かが伝わるんですね。どんなものが伝わっているんだと思います?

Y ぼくはもう、単純に言ったら、エネルギー。コンセプトを見せてもしょうがないし、かといって全くないと作品としてなりたたないのですが、身体を使う以上、何かエネルギーを放出して、そういうものが共鳴する空間として、舞台があって、そのライブ感覚があるんだと思います。

J そうですよね。言葉とかメロディとかそういう媒介全くなしに、なんやわからないものがバッと来るということだから。

Y エネルギーの共鳴。

J それが小学生に、それこそドーンって。

Y そう、ドーン。それしかできないですもん。そういうことにまた改めて気づいて、「エネルギーを常に高めとかなあかんな」って。

 

■ 『眠っていたい』 1996年10月14日 TORII HALL 「プロローグ」、「レクイエム~中原中也「秋」より」(’94年10月初演)、「不条理の天使」、「フィッシュダンス」(’94年2月初演) ダンサー=ヤザキタケシ、進千穂(フィッシュダンスのみ)

■「セキバク」 1997年10月20日『舞踊と殺陣の融合』(TORII HALL)で初演。振付・構成=ヤザキタケシ、出演=田村博子、大北桃子、雲隠竹蔵

■ 「スペース4.5」初演 『ギフト~身体からの贈り物』Program C『同時通訳/Traduction Simultanee』 ミシェル・ケレメニス「谷に眠れる人」、ヴィンセント・セクワティ・マントソー「ホクワネ」と併演。1999年6月、京都市国際交流会館イベントホール、第9回芸術祭典・京(1999)

■ 『エスパス~お茶の間』 1999年11月 TORII HALL 出演=Mr.ヨギィ、広田修生、松本芽紅見、黒子さなえ、裴香子、藤野直美、木村陽子、塚本晴之、サイトウマコト、デカルコ・マリー、ヤザキタケシ


ヤザキタケシ (やざき・たけし)
寅年生まれ。20歳からダンスを始める。ジャズダンス、モダンダンス、クラシックバレエなどのダンスをはじめる。1984年バナナホール(大阪)で本格的に舞台デビューを果たす。1997年より自らのカンパニー<ADCアローダンスコミュニケーション>を主宰し、人が生きて行く事の普遍性をテーマに、フィジカル・シニカル・コミカルに創作を試みている。1999年「スペースシリーズ」がフランスで話題となり、海外からの招待公演多数。他国内外を問わず、ミュージカルの振付、バレエ団への振付・出演、俳優としても活躍中。近畿大学文芸学部非常勤講師

上念省三(じょうねん・しょうぞう) 
ダンス批評。1959年兵庫県生まれ、神戸在住。1991年ごろから批評活動を始め、「JAMCi」、「劇の宇宙」、「PAN PRESS」「明倫art」、「BALLET」、「DANCEART」、「京都新聞」、「イマージュ」などに公演評を寄稿。京都芸術センター運営委員、国民文化祭・京都2011「洋舞フェスティバル」企画委員長、神戸学院大学・近畿大学非常勤講師。古典から現代、宝塚歌劇から小劇場演劇、あらゆる身体表現、を隣接諸ジャンルと照らし合わせつつ、現在と存在に相渉りながら論じていきたい。

 

11.01.21
ヤザキタケシ インタビュー -「Revival/ヤザキタケシ」を振返る-



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